「グラウンディング」

アレクサンダー・ローエン
バイオエナジェティック分析が、大地から上へむかって発展したという言い方は、まさに当を得ています。自分自身が大地にしっかりとつながっていないことを痛感した私は、クライアントの立ち方、足にどれくらい感情があるのか(ある感情の量)、足にある生気を観察し、研究するようになりました。人の生気は、足にあるエネルギーの量でおおよそ見当がつきます。私はクライアントに裸足で私の前に立ってもらい、立ち方を調べました。自分の足が大地についている感覚を持つ人がほとんどいないことに驚きませんでした。もちろん彼らの足は、実際には大地の上にあります。しかし足に気持ちとのつながりがないのです。大地と足のコンタクトが機械的で、命が感じられません。多くの場合血色が悪く、体を運ぶ大事な器官である足に血液が流れていないことが分かります。偏平足が多い一方で、土踏まずが萎縮して、体重をかけて大地におりることが許されないように見える人もいます。クライアントの多くは、内反小趾、筋肉の収縮による足のねじれ、体につりあわない足(大きすぎ、小さすぎ)などさまざまな足の形の障害を持っています。形が整い、生気にあふれ、見栄えのいい足を持つ人は珍しいのです。

クライアントは深刻な情動的問題を抱え、自分の人生が立ち行かなくなりセラピーを受けに来ます。多くの人はウツをわずらっていますが、不安や強い恐怖を持つ人もいれば、緊張してコントロール過剰の人もいます。私は自分がライヒから受けたワークの中で、からだがこころと密接につながっていることを痛感しました。心が人格の意識面の反映であると同じように、体は人格の身体面で表しています。私とのワークでライヒは、私の体は緊張していることに気づき、これらの緊張と人格上の障害の関連を見ていました。ライヒは、私が息を吸い込んだ位置で胸を止めていることにすぐに気がつき、これが恐怖を表していることを知りました。私の胸を動かして緊張を低下させると、抑圧していた恐怖が解放され、それが叫び声としてほとばしりでたのです。この劇的な体験を通してほかの抑圧感情や記憶を解放する扉は開きましたが、あまり深まることはありませんでした。

ライヒは、私の人格の下にあるダイナミズム、つまり根深い不安を検証したり理解することがなかったのです。私はこの不安を警戒心で隠し、知性を使って問題を予見して、状況をコントロールしていました。しかしそんなことをしても、不安感を消し去ることはできませんでした。私が思考と同じくらいに強く立つことができていれば、私ははるかに強く、恐れを知らない人間に成っていたでしょう。では、どうしてそれを達成すればいいのでしょうか。

最初に思いついたのは、膝を少し曲げ足を離して立ち、後ろに反ることでした。この姿勢をとると、自分の足が床の上にあるのを感じることができました。数分間この姿勢をとったあとで私は、前屈して指先を軽く床につけました。この姿勢では前よりもさらに床との距離が縮まります。前屈した姿勢で足を平行に30センチほど開きます。この姿勢を数分保つと、膝腱(ハムストリング筋)が伸びるので脚に不随意のバイブレーションが起きました。

別の説明もできます。生きている体には、常にバイブレーションや脈動(パルセーション)がありますが、普通これはとても微細で知覚されません。ところが筋肉へのエネルギーのチャージが増加すると、この不随意のふるえが強くなり、見たり感じたりできるようになります。このバイブレーション現象は、電線を電荷が流れるときにはいつも発生するもので、高圧線がブーンという音を立てる原因です。体の振動活動は自発的な動きですから、私たちはそれを感じるとか知覚します。そしてこの感情が、私たち自身の自覚の基本になります。感情がまったくなければ体は死んでいることになります。同じようにエネルギー的に死んだ足には感情がなく、そうであれば人は自分が環境とつながっているという感覚を持つことができません。グラウンディングしているとは、大地(地球)と感情を持ってつながっているということです。文字どおり地球は、私たちの存在を支える源です。私たちの惑星を母なる地球(大地)と呼ぶ理由はまさにここにあるのです。私たちは母なる地球の申し子(産物)です。

実際、私たちが発達し、成長するエネルギーは実の母親からもらいます。子宮の中で、誕生後のしばらくの間に、私たちが自立した存在になる基礎が作られます。幼少期に母が与えてくれる支援やエネルギーがもとになって、人生での安心感が決まります。原則的には人の立ち方の質と安心感には幼少期に得たサポートが反映されるといえるでしょう。後の体験もまた、立ち方やその質に影響しますが、それは表面的なものです。成熟した一人の人間としていかにきちんと自分の足で立っているかを調べて、支援の質と量を評価します。これはバイオエナジェティックスの考えでは、公理のように明白なものですが、これからセラピストを目指す人や不慣れなセラピストには、この評価ができるまでには時間がかかるかもしれません。

安心感のほかにも、自分の周りの環境のすべての特性や側面とつながっているという感覚もまた、立ち方の質と関連しています。幼少期に自分が根を下ろしている(根ざしている、ルートを持っている)という感覚のなかった人は、生涯同じ気持ちを引きずって生きることになります。「これが私のルーツ、立場」は言い換えると「これはいまの私」にもなります。もちろんすべての経験が自分が誰であるかという感覚に影響しますが、幼少期の体験は最も大きく影響します。

あなたの立ち方を見れば、あなたがどんな人かを私は言うことができます。コミュニティの中で堂々と立っている(断固とした立場を持っている)と感じるならば、あなたの身のこなし、姿勢、下半身にそれが表れます。足や脚が弱いときに堂々と毅然として立つことはできません。足と脚は、大人の人格を支える基礎です。多くの人は、足と脚の弱さを過度に自我を発達させることで補っています。お金、政治権力、社会的地位などの形で権力を持つ人は、自分が安心であるかのように信じて行動します。権力は往々にして劣等感や不安感を補償する目的で使われます。結局、王様の足を見る人は誰もいません.人は王冠に気を取られ、その地位を与えています。服は裸を覆うと同時に、人の弱さも覆います。

人の知性は直接、グラウンディングの状態の質と量に関連しています。近代的に洗練され、最新の知識を持たなくても、常識と深い理解(understanding= under, stand)があります。最新の知識を持つ人は脳で考え、それはコンピュータと同じです。グラウンディングのできている人は体全体で考えます。つまり感情が、思考全体に強く影響を持つということです。深い理解(understanding= under, stand)は美しい表現です。そこには人の思考が感情、つまり地球、大地とその生物とのつながりの感覚を基にしてそこから生まれることを意味しているからです。私を中心にするエゴイズム的思考ではなく、私たちを中心にすえています。私たちはほかの生物と共有しているものによって、はじめて真の人間になるのです。違いを強調すれば、つながりの感情が失われます。連帯感はグラウンディングに欠かせない要素です。

グラウンディングしている人は、大地と自然環境、体と感情、愛する人と仲間の生物とつながっています。グラウンディングを欠いた人は、孤独な一匹狼で、木から離れた葉っぱであり、家を持たない生き物です。家とは人の体を指します。感じながら自分の体とつながっていないということは、生涯帰属の気持ちを持たずにさまよう、切り離されたスピリットになるということです。私がワークをしたクライアントはすべて、この分離と孤独をある程度感じています。それは悲劇的なありようです。私はセラピーの中で、人が命やほかの人とのつながりの気持ちを回復できる手助けになることを目標にしています。このつながりを回復するただひとつの方法が、グラウンディングすることです。

幼い頃にグラウンディングを失うのは、サポートがなくなり恐れや不安を感じるからです。恐怖を感じると体のエネルギーは表面から内面に引きこめられ、脳や心臓といった生命維持に大切な部位に集中します。これは驚愕反射と言われるもので、このときには同時に息を吸い込みます。恐怖の体験を模倣すれば、この反射はすぐに感じることができます。肩が上がり、目が大きく見開かれ、息を吸い込むのが感じられるでしょう。クライアントの目が大きく開き、肩があがり、胸が膨らんでいれば、本人が感じている、いないに関わらず、脅えているのが分かります。体の中で上に向かう動きは、自発的なエネルギー反応で、初めてのときは恐怖として体験します。しかし、恐怖の状況にとどまっているうちに恐怖の感覚をなくします。するとこの恐怖は、慢性的な緊張として体に構造化され、ゆっくりと意識から消えていきます。

人が意識的に気づくことができるのは、自発的な身体の動きだけです。このことは簡単に証明できます。腕を5分間、動かさずにたらしたままにしてください。きっとその腕を感じなくなるでしょう、腕が麻痺するのです。気づき、意識、感情は、体の中での自発的な動きがないと起きません。死人に感情はないのです。

恐怖との関連で、下半身からエネルギーが引き上げられると、グラウンディングがなくなります。それを吊りあがり状態といいます。足を大地につけて、つまり現実に足をつけて動く代わりに、非現実的な考えをもとに動きます。行動を支配するのは自己意識であり、感情ではありません。これは今日の神経症性格の典型です。つまり、文化の中の神経症的な価値観で吊りあげられ(大地から引き離され)、浮き上がっているのです。自分の体、大地にしっかりとグラウンディングしている人の価値観と比較すると、現代の人々がいかに頭でっかちで地に足が着いていないかが分かります。つぎにこれを示す表をあげます。

この比較を見ると、現代人がいかに病み、神経症的であるかがはっきりします。これを認識しない限り、自分の抱える問題は知識や情報によって解決できると考えることで、自分との心理戦に走ってしまいます。私たちに必要なのは、体という現実、大地との関係という現実に下りてくることです。足をつけて土に生きることはないとはいっても、多くの人にとって下との距離は大きく見え、そこに行くのを恐れています。大地に降りると落下不安が出てくるからです。

前に書いたグウンディングのエクササイズは、効果的な変化を生むには弱すぎることが分かりました。しかしグラウンディングの概念とエクササイズを、はじめてバイオエナジェティックスに取り入れたときに比べると、人々の生活はかなり悪化しています。体や感情とのつながりは、バイオエナジェティックスを創設した1953-1959年ごろに比べると、はるかに少なくなっています。今は頭の文化です。この文化では、ほとんどの人が頭脳志向です。意志の力で体に生気を取りもどそうと無駄な努力をしていますが、意志は自我の道具(手先)であり、そうすることでさらに体、体の気持ちとのコンタクトがなくなるのです。この問題は頭では解決できません。逆に大地にもどり、上の方向を目指すしかありません。足からはじめる必要があります。

バイオエナジェティック分析の基本的考え方のひとつは、すべての多細胞動物において、からだの中に縦軸方向に流れるエネルギーの興奮の波があり、それはリズミカルな脈動によって頭から足に向かって流れ下り、つぎに足から頭へと上るということです。このエネルギーの脈動については、私の著書『からだと性格』の中で最初に説明しました。呼吸の波もこのエネルギーの脈動の側面です。吸気は上昇する波の流れと、呼気は下降する波の流れと関連しています。息を吸うには呼吸に使われる筋肉を収縮させる必要がありますが、吐くときはリラックスすればいいのです。脈動は、そのリズミカルな本質上、上昇と下降の流れの強さと豊かさは同じです。この原理は、バイオエナジェティックスでよく観察される、目のチャージと足のチャージは同じであるという事実の根拠になります。呼吸とグラウンディングのワークを強力に行い、足へのエネルギーチャージが高まると、クライアントは視力が顕著に改善すると報告します。瞳が輝きを増し、エネルギーもたくさんチャージされます。

バイオエナジェティックスで、初期からずっとワークの一部に組み込んでいる体のワークは、クライアントの多くに役に立っています。クライアントの一人は、ミュージカル・コメディーのオーディションのときに、これらのエクササイズを使いました。ほかの歌手が舞台の袖で声を出しながら音あわせをしているときに彼は前屈して、指先を床につけ、呼吸に集中していました。ほかの歌手は呼ばれて歌う段になると声が緊張しましたが、私のクライアントの声はリラックスしていました。その結果彼は、受けたオーディションのほとんどで役をもらい、有名なミュージカル・コメディーのスターになりました。

前屈と読んでいるこのエクササイズは、40年以上の間、私をずいぶん助けてくれましたが、私とクライアントの不安を完全に拭い去るところまでは行きませんでした。クライアントの多くは、脚にバイブレーションがおきましたが、それが足まで広がりません。それで足には強い感情がないことが明らかになりました。このエクササイズを強化するために、私は片足ずつ交互にするように促しました。片足を床から離して後ろに伸ばすと、立っている脚により多くのストレスがかかるので、バイブレーションが強くなり、足をより感じるようになりました。私はこの改良型のエクササイズを、クライアントに使っています。これにより、大地の上の足をより感じるようにはなりましたが、まだ十分ではありませんでした。

数年前のことですが、このエクササイズで、驚くと同時にうれしくなる体験をしました。サマーハウスの近くの田舎道をゆっくりと歩いていたときに、エネルギーが体を駆け巡り、私の体をまっすぐに伸ばし、自分の背が5センチほど高くなったように感じました。毅然とした感じで、新鮮でわくわくする思いでした。この反応を生み出すことを、意識的に何かしたということではありません。同じ体験を繰り返すことはできませんでしたが、それはけっして忘れる事のできない体験でした。

作用は反作用に等しい、という物理学の法則はみな知っています。大地を押せば、大地が押し返します。これはロケットエンジンに使われる原理です。ジェット機から放出されるエネルギーで機体が前方に押されます。物理学のこの法則は、私たちの歩行にも働いています。一歩踏み出すごとに地面から浮き上がるのではなく、上に上がり前方に進みます。これは意識的な行為ではなく、歩行能力にもともと備わったものです。幸いにもほとんどの人は、意識的に努力しなくても歩くことができるので、歩くことは人生の喜びのひとつになっています。しかし、たとえ動きを意識しながら歩いた場合でも、それは純粋に機械的な動きではありません。体のある部分に注意を向けることは、どこの周囲やエネルギーを集中させる過程です。私の場合、手をリラックスして伸ばし、指先に注意を集中するとそこがびりびりしてバイブレーションを起こします。私がしたのは興奮の流れを自分の手に向けただけです。一般には、体のある部分を感じるために、意識的にそこに集中する(フォーカスする)必要はありません。興奮の流れは意識的な思考や行為がなくても、生きた体をめぐっています。興奮の流れが自由で十分であれば、それは快楽として体験されます。さらに興奮が強まれば、喜びにさえなりえます。慢性的な筋肉の緊張は流れをブロックして、苦痛を感じることになります。多くの人では筋肉の緊張が慢性化して、興奮が流れないため、感じることもなく死んだ状態が生まれます。

歩行中に自分の足を感じている人は、ほとんどいません。実際のところ、自分の足が大地にあることを感じていないのです。脚を降りて足に入る興奮の流れがひどく制限されていて、それを意識的に増加させることはできません。意識的な行為は意志を使った行為です。興奮の自発的な自由な流れではないので、快楽、つまり感情として体験されません。興奮の流れはパイプを流れる水に似ています。パイプの端が詰まれば、流れが制限されます。足の母指球は、脚を通る興奮の流れに影響を与えます。母指球の組織がけい縮していれば、興奮のエネルギーが伝わって大地とコンタクトすることができません。大地とのつながりが感じられないのは、コンタクトが機械的で感情を伴わないからです。コンタクトが機械的であれば感情はないので、人は足の母指球が感じられず、その場所も分かりません。(be on the ball「緊張する、あるいは調子がいい:両方の意味に文脈で使える」という言い方はよく知っているかもしれませんが)中足骨のアーチを足の母指球だと思っている人がたくさんいますが、足の裏を感じている人であれば、アーチの近くのくぼみに似た点を指摘します。このくぼみが母指球であることは簡単に証明できます。そこを指の関節で押すと収縮している場合には痛みがありますが、同時にチャージが足を通って脚を上昇するのが感じられます。ビー玉のように小さな丸い物体、あるいは低いテーブルの角にこの部位を押し付けると、よく分かります。その際は倒れないように誰かに支えてもらってください。私のオフィスでは、私が座る木製の椅子のひじ掛けを使います。

コンタクトを取り、環境にある対象とつながりを作る器官である手にも母指球があります。それは中手骨のアーチの裏に当たります。指の関節(握りこぶしの先)をここに強く押し付けると感情が沸き起こり腕に流れるのが分かります。手の組織が収縮していれば強く押すと痛みを感じます。手でも足でも母指球をリラックスすることを覚えると痛みは感じません。

クライアントが母指球の位置を知ったあとで、その部位の緊張を緩める単純なエクササイズをさせます。床に指先をつけてバランスを取りながら片足で立ってもらい、指先とかかとを同時に上げるように指示します。これで母指球はさらに床に近づきます。足の上で前後に揺れながら、実際に母指球が床に触れ、チャージが足を伝って腰にまで届くのを感じることができます。つぎに足を変えて、もう片方の足で同じエクササイズを繰り返します。このエクササイズでは単純な前屈に比べ、足と脚にさらに多くの興奮と感情が生まれます。

私はこれらのエクササイズをすると足が生気を取りもどし、脚がさらにリラックスするのを感じることを見つけました。これらのエクササイズはともに脚のバイブレーションを高めますが、それはより強いチャージが流れていることを示します。セッション中、あるいは家庭でこれらのエクササイズをした人は自分の足、脚とのつながりを強く感じ、それはより大きな安心感を生み出します。

私はこれらのエクササイズをほぼ毎日欠かしません。年を取ると脚、足が以前のような柔らかさや柔軟性を失っていることが分かります。チャージと柔軟性を保てる範囲内で、私は若者のように歩くことができます。もうひとつ、私がしているグラウンディングのエクササイズがあります。これは数年前にバイオエナジェティックスの同僚に教えてもらったものです。彼はこのエクササイズを整骨医のグループが開催した腰痛のためのワークショップで学びました。グラウンディングの姿勢をとり、前屈して指先を床につけると、片足の母指球で床を強く押します。それと同時に母指球の上で旋回(pivot)して腰を少し圧のかかっている方に回転(rotate)させます。つぎにもう片方の母指球を強く押して、腰をそちらに回転させます。足の働きだけで腰を動かすのです。このエクササイズは、腰の関節にとてもいい影響を与えます。腰関節へのプレッシャーが、一切ない状態で腰関節が動くからです。実際に腰が緩み、骨盤に生気が満ちるのを感じます。未開の人々ははっきりと腰の関節を揺らして歩きますが、これは意識的になされるものではありません。エネルギー、あるいは興奮がそれぞれの脚に交互に向けられる結果、ダイナミックなシフトが起きるのです。先進諸国の人々は硬直して、機械的に歩きます。私たちの腰は凍りついているので、揺れる動作をするには意識的な努力が必要になります。私はこの腰の膠着が私たちの文化で、高齢者が苦しむ変形性股関節症の原因だと考えています。

長年にわたってこれらのエクササイズのワークをして来ましたが、これまでのセラピーではクライアントが充実感を感じる手助けに必要な変化を起こすには十分ではない、という事実に直面しなければなりませんでした。私は神経症的な性格構造が凍りついた状態であるということに気づいていました。それはあたかも、人生の初期にショックを受けたそのままの状態が続いているようです。

私は人生の重要な状況で、どうしようもないところまで追い込まれたことはありません。しかし、1990年には、結婚とセラピストとしての仕事の両方でうまくいっていないことを痛感するにいたりました。これまでは人格の未熟な部分を、知的能力でカムフラージュしてきました。多くのベストセラー(好評な本)を書き、世界中で尊敬を集める国際組織を創設したことで、多くの人は私を成功者とみなしていました。大地に足をつけるには(夢から覚めて現実に戻るには)私は成功というわなを手放す必要がありました。いろいろな変化の中には、バイオエナジェティックス分析国際研究所(IIBA)の常任理事という地位を退くという決断もふくまれていました。結果はとてもいいものでした。

IIBAへの責任を降りたことで、一人の人間として自由になりました。バイオエナジェティックスのセラピストとしてのワークは継続し、時には研究所のワークショップでも仕事をしました。それまでの私は、ある種のショック状態にあり、自分の問題の深部にあるダイナミズムを見ることができなかったのです。問題は依然としてグラウンディングにありましたが、私に必要なことはショック状態を打破するテクニックでした。

そのために私は、バイオエナジェティックスのボディワークをより効果的にする、新たなエクササイズを導入しました。それは足の母指球にゴルフボールを当てるものです。ゴルフボールに体重をかけると強いチャージが体に伝わり、時には実際に体が震え上がることもあります。強い痛みを感じることもありますが、この痛みによって体に強いバイブレーションが起こり、時には泣き出すこともあります。まず、痛みをこらえきれなくなるまでゴルフボールに片足を乗せ、つぎにもう一方の足で同じことをします。これをそれぞれ2回行います。ゴルフボールを足からとると、自分の母指球をはっきりと感じることができます。ゴルフボールのエクササイズに続けて、ほかのグラウンディングのエクササイズをすると体全体に良好な効果が見られ、クンダリーニへの効果が表れることもあります。ゴルフボールを使わない場合には、クンダリーニのチャージを強力に高めて行くのが難しい人がいます。私自身痛みをこらえられなくなるまで毎日ゴルフボールのエクササイズをしていますが、それはほんの数分で済むことです。

グラウンディングのエクササイズで、人は自分のより深いところにある感情へと開いていくことができます。呼吸のエクササイズとバイブレーションを併用すれば、感情は体全体の体験になり、チャージが高まり活き活きとした感じを持つことができます。セッション後のクライアントの変化は、私の目にはっきりと見えます。クライアントは、自分の足がきちんと床に触れているのを実感します。床とのつながりを通して、自分の体全体とのつながりを感じます。呼吸と泣くことは、今でもワークの基本です。これによって上半身の緊張が解放されるからです。骨盤のアーチと名づけているセクシュアリティのエクササイズは、骨盤の部位をより豊かに開く効果があります。バイオエナジェティックスではボディワークは、常に分析ワークと足並みをそろえて実施し、クライアントが幼少期に体験したトラウマから、自分の神経症的行動を理解できるようにサポートします。この理解は、成長のプロセスになります。というのも、あらたに生気や快楽を体験するたびに、ゆっくりとクライアントの体と人格が変容をとげるからです。

鍵をにぎるのは、自分の体と自分自身と十分にコンタクトが取れて、自由に自己表現できることです。クライアントがセッションのたびに恩恵を感じ、目に見える変化を遂げていくことでセラピーがやりやすくなりました。グラウンディングできないことの代償は、安心感の欠落だけではありません。大都市で通りを歩く人の姿には、決意と努力の動きが見えます。多くの人にとって、歩くことは快楽(気持ちのいい)活動ではありません。目的地が行くか、あるいはエクササイズとして歩いています。その結果、快楽を感じることはほとんどなく、優美さ(優雅さ、品格)もありません。これはマイナーなロス(喪失)ではありません。というのは、動きにおける優美さ(優雅さ、品格)は、人が自分の体と大地とつながっている印だからです。優美に動くとき、人は最も深みにある命のリズムとつながっています。優美さ(優雅さ、品格)は自分の世界の中で十分にくつろぎ、なじんでいることを示します。それがないということは、環境の中でよそ者である印です。十分にくつろぎ流れる代わりに、収縮して不安を感じています。

優美さ(優雅さ、品格)の本質は、自分が偉大な母である地球に支えられ滋養を受けていると感じることの中にあります。へラクルスは、母なる大地の息子、アンタイオスを殺すことができませんでした。というのもヘラクルスが、アンタイオスを地面にたたきつけるたびに、彼は母とのコンタクトを通して再生して、強くなってもどってきたからです。アンタイオスの本質を知るまでは、ヘラクルスは負け戦を戦っていました。そこで地面にたたきつける代わりに、アンタイオスが弱って死ぬまで上に持ち上げ続けました。私たちの力は、木のように大地から来ます。大地の根っこが切られれば、私たちは死んでしまいます。大地とのコンタクトを喪失しても、人は肉体的に死ぬことはありませんが、エネルギーあるいはスピリットでは死んでいます。頭の中で生きている多くの人にこれが当てはまります。彼らの生活は権力、達成、評判(悪名)を中心に回っています。これは体と感情と切れてしまっている今の時代に多い、ナルシシズム性格、あるいは分裂質性格です。今の文化ではつながりを感じている人はあまりいません。そしてみな大地の上にある自分の足を感じていません。セラピーの中では、足の感情が失われているという問題に、フォーカスすることが重要になります。

このつながりを提供する上で、足の母指球がどのような働きをしているか見てみましょう。私は、興奮の波が脚を下降して流れるときに、螺旋形(スパイラル)を描いて伝わっていくと見ています。すべての生き物には、スパイラルの側面があります。命のはたらきは直線ではありません。足の母指球は、渦のように流れを集めてそれを放出しています。放出の際には逆の動きになり、脚を上昇して鼠径部まで行きます。私はこの上昇の動きを何度も体験しています。常に鼠径部や骨盤でとまるわけではありません。戻る波はさらに上に昇り、背中を通って頭に行きます。頭頂にある点は、足の母指球にある渦巻きと対応しています。この渦巻きはつむじで、ここは放出の焦点でもあります。強いエネルギーのチャージが上昇してこのつむじから出て行くとき、ひとはキレた、カンカンにおこった、激怒したというのです。キレた、カンカンにおこった、激怒したという行為を構成するのは強力でハイチャージの叫び声で、それはサイレンの音のようです。最強の強度で叫ぶことができる能力は、足の母指球から放出する同じ行為と対応しています。グラウンディングできない大人は、叫ぶこともできません。赤ん坊や子供は、足と大地のコンタクトという点ではグラウンディングしていません。もちろん彼らは、実の母(大地)との関係にグラウンディングしています。この関係が切れると、子供はそのエネルギーを引き込めて自閉的になります。幼い子供の場合は、これは依存性抑うつ(アナクリティックな抑うつ)です。

体には、ほかにも生命体へのエネルギーの流れが他の部位よりも強く出入りする、エネルギーのボールがあります。目を考えて見ましょう。目がボールであることはすぐに分かります。実際に眼球と呼ばれています。眼球の働きは、足の母指球の働きに似ています。目は、周りの世界と私たちを視覚的につなぐ中心です。眼球にあるエネルギーと足の母指球にあるエネルギーが等しいことは、観察上認められる事実です。前に述べたように、クライアントがグラウンディングのエクササイズをして、足の母指球へのチャージが高まると、目が輝きを増し視力も上がります。私がワークしたクライアントはみな、この現象を報告しており、私自身自分の目で確かめています。

体のエネルギーバランスは保たれる必要があります。ライヒは1940年のニュースクールでの講義でこのことを話していますが、別の言い方をしていました。エネルギーのチャージとディスチャージ(放出)は等しい必要があります。放出能力を超えてチャージが高まれば、バランスが崩れ、(ケイオティックな)無秩序な動きが生まれ、混乱してしまいます.吸収した以上のエネルギーを放出すれば、衰弱して死に至ります。アンバランスは起こる可能性だけではなく実際にもおきますが、体の自律的(self-regulatory)プロセスによって、すぐにもとに戻ります。

目のエネルギーが足の母指球のエネルギーに等しいという発言は、性器にあるボール、精巣と卵巣にも当てはまります。明るい目ともじゃもじゃの尻尾(やる気満々の、やる気十分の、生き生きして元気のいい)という表現は、性的に元気な人を指しています。性的に興奮すれば目も輝きます。グラウンディングしている人は性的に活き活きとして、目も自分が見ている人ときちんとコンタクトを取ります。あらゆるレベルでつながっているのです。

グラウンディング、他者とのつながり、性的な生気が、すぐ簡単に起きるという印象を与えるつもりはありません。多くの人では体の興奮の流れが、深刻な慢性的筋肉の緊張によってブロックされ、収縮しています。これらの緊張は感情を切り離し、制限する目的を果たします。自分の生存にとって絶対に必要でない限り、人は命を制限したり狭めたりはしません。体に生気が戻ることは、とても恐ろしいことです。それは恐怖、愛、怒り、悲しみを感じ、神経症的な性格防衛を取り下げることに対する怖れです。自分の感情に、命に、体に身をゆだねることに対する恐怖は、今の文化に広く見られる現象で、これが頭を優先して体をないがしろにしています。今の文化では、思考は感情よりも優れ、権力は快楽よりも重要で、存在することではなく行為が生きる意味になっています。これはナルシシズムの典型的な態度ですが、私たちの文化で支配的な人格が、このナルシシズムです。

   (文責:国永史子)